日東工業株式会社
Nitto Industry Co.,Ltd.

 社長 小松の経営日誌

   

15年06月01日 (Monday)       大阪都は実現できず?


 大阪都をめぐる住民投票では橋下陣営が敗れました。政策の是非はともかく、変えるということは大変だなあとつくづく感じました。
 人はよっぽどの動機が無い限り現状維持を選択する傾向があるのでしょう。今のままなら考えることは無く楽であるが、変わることは失うものもあり、損得を十分検討する手間が必要だから。
 でも現状維持がリスクが無いかと言えば、そんなことはないのです。時間的に多少の余裕をもらえるだけで、現状をどこかで維持できないときが来ることは多いにあり得ます。その時には選択肢は与えてもらえません。
 今日あることは明日は続く可能性は高そうだ。でもあさってになると続けられるかどうか、分からなくなってくる。そのような事例は今、いっぱいあると思います。もちろん会社経営においても。
 選択ができるうちに、早め早めに手を打つことが肝要だと思います



             

15年04月12日 (Sunday)       本質は何か!


 ゼロベース思考。エッセンシャル思考。ベストセラー本のテーマになっている言葉です。これらの本を読んだせいもあり、問題点の本質は何なんだろうか?今、最優先でやらなければいけないことは何なのか?業務を繰り返す日常に、ちょっと立ち止まり、改めてこう自問することを心がけるようにしています。
 逆に言えば、今までは本質ではないことに煩わされて、最短距離で問題解決に切り込むことが出来ていなかったと反省しているわけです。本来の目的に対し、いくつかの手段を考え実行していくうち、いつの間にか手段の達成のほうが目的になってしまう。そういうことがよくあったなあと思うのです。今の社会でも意識していないと陥りがちな現象ではないでしょうか。
 例えば、政府と日銀のインフレ政策。目的は景気が良くなること、経済が健全な状態になること、のはずです。その為に適度なインフレが必要な手段として考えられたわけです。それがいつの間にかインフレそれ自体が目的になっているような報道には違和感を覚えます。しかも数字は怖いもので、インフレ目標は2%と言えば、2%という数字が一人歩きして、それが達成できるか、できないかだけを虫眼鏡で見ているような捕え方はいかがなものでしょう。インフレ率は1%であっても、1.5%であってもそれはさして重要な数字ではありません。重要なのは、その結果として、日本経済全体が望ましい姿になることです。
 会社でも経営目標を達成するために挙げる、手段としての数字は色々あります。円高が進んだ時代には海外購買比率を伸ばそうとか、現在の株価高騰時の上場企業においてはROE(対資本に対する利益率)を高めよ、だとか。もちろんその行動が悪いとは言っていません。しかし、海外購買比率は為替の状況によっても望ましい姿は変わってくるだろうし、ROEを高めるだけなら借金を多くしてレバレッジをきかせれれば達成しやすいということになります。すなわち手段の部分だけを達成しようと思うと、時によってはかえって全体がゆがんでしまう場合もあり得るのです。あくまで手段であるものと、本当の目的であるもの、この違いをきちんと認識しておくことは重要だと考えます。



             

14年05月25日 (Sunday)       潮目の変化


 最近の世の中に、潮目の変化を顕著に感じます。1ドル80円を超える円高から100円台になった為替相場。デフレ経済から脱却の兆し。私としては必ずしもこの流れを全て良しとするわけではないのですが、日本経済総体としては、ここまではまあ良かったとするべき現象でしょう。
 しかし、あきらかに好ましくない社会的現象も増えています。あちらこちらで勃発する国際紛争、もしくは同一国での民族対立がその筆頭。これらを一時的な突発事項と見るのか、より長いスパンの社会的変化として捕えるべきかによって重要度が変わってきます。私はこれも時代の潮目の変化として、真剣に考える類のものだと思います。
 20世紀末からコンピュータの普及、それに伴うネット社会の広がりが見られ、人と人、国と国との結びつきを急速に強めていきました。さらに金融技術が進化して、資本も、市場も、労働力も、自由に国際間移動が可能な世界が出来上がってきたのです。我が社もこの時期、1995年に初めて中国に工場を作りました。私も当然良しとした行動ですし、国際社会としても良い流れの中にあったと思います。フラットな社会という言葉が使われたように、世界の辺境まで工場が進出し、より多くの人、国に工業化へのチャンスを与え、先進国の消費者は今までと同じものをより安い値段で買えるようになったわけです。
 ところが21世紀に入り、弊害も目立ってきました。旧態依然とした低賃金で働かせられる労働者が、貧富格差の広がりに不満の声を出します。またそれぞれの地域で保たれていた宗教的考えや倫理を、無理やり資本主義の単一的ルールで推し進めていこうとした強引さがひずみを生みます。さまざまなマイナス要因が積み重なり、現在みられる紛争の種になっていったのだと感じます。
 辺境には辺境で、貧しいながらも落ち着いた満足感があったはずです。そこに資本主義の考えがブルドーザーのごとく乱入してきた。短期的には雇用の場ができ、所得も増えるから良い流れに見えました。だがGDPで図るのではなく、幸福という尺度で見たら、それは本当に良いことだったのだろうか?あるときそうではないと気づいたとしても、もう元の落ち着いた閉鎖社会には簡単には戻れません。いったん開けたパンドラの箱のもとでは、もっと所得を上げなければいけない、もっと広く雇用拡大がなければならないという考えが固定され、物事はそれに沿って動きます。一般の人は、自分よりあいつが多く稼いでいるのはけしからんという妬みの感情が出てきます。指導的役割の人には、将来の発展のために資源確保をしておかなければならない。領土を拡大しておかなければいけないという欲も出てきます。良かれと思われた流れも、ある地点を過ぎるとマイナス面が目立つようになり、だんだんそれが大きく蓄積されていくわけです。お金の面でそのマイナス面がマグマのように溜まり、そして爆発したのがリーマンショックとそれに続く世界的金融不況でした。
 足元、日本経済は好調なようです。しかし、その根底にあるより大きな流れについて、本当にこれでよいのだろうか、また爆発してしまわないだろうかと考えてみることも必要なタイミングだと感じています。