日東工業株式会社
Nitto Industry Co.,Ltd.

 社長 小松の経営日誌

   

14年05月25日 (Sunday)       潮目の変化


 最近の世の中に、潮目の変化を顕著に感じます。1ドル80円を超える円高から100円台になった為替相場。デフレ経済から脱却の兆し。私としては必ずしもこの流れを全て良しとするわけではないのですが、日本経済総体としては、ここまではまあ良かったとするべき現象でしょう。
 しかし、あきらかに好ましくない社会的現象も増えています。あちらこちらで勃発する国際紛争、もしくは同一国での民族対立がその筆頭。これらを一時的な突発事項と見るのか、より長いスパンの社会的変化として捕えるべきかによって重要度が変わってきます。私はこれも時代の潮目の変化として、真剣に考える類のものだと思います。
 20世紀末からコンピュータの普及、それに伴うネット社会の広がりが見られ、人と人、国と国との結びつきを急速に強めていきました。さらに金融技術が進化して、資本も、市場も、労働力も、自由に国際間移動が可能な世界が出来上がってきたのです。我が社もこの時期、1995年に初めて中国に工場を作りました。私も当然良しとした行動ですし、国際社会としても良い流れの中にあったと思います。フラットな社会という言葉が使われたように、世界の辺境まで工場が進出し、より多くの人、国に工業化へのチャンスを与え、先進国の消費者は今までと同じものをより安い値段で買えるようになったわけです。
 ところが21世紀に入り、弊害も目立ってきました。旧態依然とした低賃金で働かせられる労働者が、貧富格差の広がりに不満の声を出します。またそれぞれの地域で保たれていた宗教的考えや倫理を、無理やり資本主義の単一的ルールで推し進めていこうとした強引さがひずみを生みます。さまざまなマイナス要因が積み重なり、現在みられる紛争の種になっていったのだと感じます。
 辺境には辺境で、貧しいながらも落ち着いた満足感があったはずです。そこに資本主義の考えがブルドーザーのごとく乱入してきた。短期的には雇用の場ができ、所得も増えるから良い流れに見えました。だがGDPで図るのではなく、幸福という尺度で見たら、それは本当に良いことだったのだろうか?あるときそうではないと気づいたとしても、もう元の落ち着いた閉鎖社会には簡単には戻れません。いったん開けたパンドラの箱のもとでは、もっと所得を上げなければいけない、もっと広く雇用拡大がなければならないという考えが固定され、物事はそれに沿って動きます。一般の人は、自分よりあいつが多く稼いでいるのはけしからんという妬みの感情が出てきます。指導的役割の人には、将来の発展のために資源確保をしておかなければならない。領土を拡大しておかなければいけないという欲も出てきます。良かれと思われた流れも、ある地点を過ぎるとマイナス面が目立つようになり、だんだんそれが大きく蓄積されていくわけです。お金の面でそのマイナス面がマグマのように溜まり、そして爆発したのがリーマンショックとそれに続く世界的金融不況でした。
 足元、日本経済は好調なようです。しかし、その根底にあるより大きな流れについて、本当にこれでよいのだろうか、また爆発してしまわないだろうかと考えてみることも必要なタイミングだと感じています。
 



             

13年08月25日 (Sunday)       ヤバい言葉づかい


 若い頃、付き合っていた女性がいました。食事に誘い、選択肢をいくつか挙げ、どこに行こうかと問うと、彼女はよくこのように答えました。 ”イタメシでいいわ。”
 レストランに行き、まず何を飲むかと問うと、彼女はこう答えました。 ”ビールでいいわ。”
 彼女にはとても楽しい時間を過ごさせてもらったのですが、どうもこの言葉遣いが気になりました。あるとき私は指摘しました。 ”ビールでいいわ、じゃなくて、ビールがいいわ、だろ。” 彼女はちょっと驚いたものの、反発はなく、私の指摘の意味をよく理解していました。
 ”お父さんからもよく言われるの。ついついそういう言い方をしてしまうのよね。” 彼女は答えてくれました。助詞一文字、 ”で” と ”が” だけの違いですが、それがポシテイブな姿勢かネガテイブな姿勢かという印象で、そして相手に与える好感度で、大きな差異を作り出していると思いませんか。でも、彼女はそういう風に私が感じるという意識は全くなかったし、私と居ることに退屈だという意思表示でもなかったのです。理由は単なる癖。そういう言い方が惰性になっていたというだけです。
 そして何十年か経た今。悪気は無いのだが、相手に不快感を与えてしまう物言いをちょくちょくしている自分に気づきます。年取って老獪になった分、敢えて穏やかに相手に不快感を与えるという技(?)を使うときもあります。だが、今回言いたいのはそういうことではなく、単なる癖、惰性で言葉が出てしまい、あー!まずい言い方だったなあ、と後悔する場合です。
 食事の例ばかりで恐縮ですが、先日、居酒屋で一杯飲み、締めのご飯を食べようと思い、定番のじゃこメシを頼みました。店のご主人曰く、”今日は売切れちゃったんだ。その代わりカヤクご飯を作ったからどうですか?” 私、”それじゃあカヤクご飯でいいや。”
 出てしまいましたね。悪気は無いのだが、ヤバい言葉づかいが。昔、彼女に指摘して、自分でも実行しなければいけないのに。主人の心には、頼んだものが売切れた申し訳無さと、でもカヤクめしも結構自信あるんだぞ、という気持ちがあるはずです。ならばここは、”おー、カヤクご飯、いいね。それもらう。”ぐらいは呼応するべきでした。(たとえジャコめしが無くてがっかりしたとしても。そう言ったからといって勘定が高くなることはありません。)そうしたら臨時レシピの成功に気をよくした店主は、次回来店時にうまい裏メニューを出してくれるかもしれない。
 上記、 ”で” と ”が” の区別以外にも、何十年も生きて来た過程では、自分で意識していない言葉遣いの癖がいろいろ出来ているのでしょうね。そしてその中には好ましからざるものも結構あり、特に大きな問題が起こらなかったから大目に見られたものの、実は小さい不快感は幾度となく相手に与えていたという事実はきっとあるのでしょう。だんだん頑固になり、指摘してくれる人も少なくなる私の年代です。一度意識して、自分の物言いの癖を見直してみるのもいいかと思います。
 ちなみに、冒頭に登場した彼女は、その後長きに渡り一緒に暮らすこととなり、些事の指摘のし合いは今なお続いています。



             

13年07月07日 (Sunday)       最近の街を歩いて感じること


 観光目的と見受けられる外国人がよく目につくことです。それも色んな国からの人々。1-2年前までは中国人の観光客が多くなったなあと思いました。今は東南アジア、欧米、中近東、さまざまな国の出身であろうとおぼしき方を見ます。
 10年以上さかのぼれば、やはり国内における外国人の増加を感じたことがありました。その時は日本企業、特に工場で働く外国人作業者の急速な増加という原因がありました。このような人々が、スーパーマーケットで食料品を買っている光景などをよく目にたものです。私の工場でも働いてもらっていましたが、祖国から遠く離れ、不慣れな環境の中、頑張ってくれてるなあと感じた記憶があります。時を経て、今回触れている外国人の場合は、彼らの目的が異なります。日本で稼ぐ、働いてくれるのではなく、日本を楽しんで行ってくれる人々です。
 エジプトで、ブラジルで、トルコで暴動が起き、デモが起きている。南欧諸国では若者の失業率が高止まりしている。我々は、貧困は存在し続けているのであり、貧富の格差はむしろ開く方向だという事実を認めないわけにはいきません。しかし、今、街で見える光景からは、海外に旅ができる中流層も確実に増えているという現象を捕えることができます。背景として、特に東南アジア諸国が顕著ですが、海外諸国の全体としてみた所得の増加がまずあります。が、それだけではなく、航空運賃の低下、規制の緩和、インターネットの普及による情報の充実という、総体としての社会現象が後押ししている面も大きいと思います。日本は戦後いち早く高所得国になったわけですが、後述の要因がなかったため、よっぽどの金と時間に余裕がなければ、そうそう気軽には海外旅行に行けない時期は長く続きました。そう考えると、デフレは悪いなどと言われながらも、やりたいことがやりやすくなった(同じ所得であっても)という意味で、一応、社会は進化しているのではないかと考えるのです。 
 テレビ、ビデオ、自動車。時代をさかのぼれば買いたいリストの上位にあったものが、物がそろいすぎたがために購買意欲の対象から外れています。日銀が大判ふるまいにマネーを供給しても、買いたい物が見つからない世の中では総需要は高まらない傾向があります。だからインフレにするんだという、私が思うには、真ん中を省いた、少々乱暴な論調も多くなってきています。しかし、海外旅行の例が示すように、実現を阻んでいた要因が改善されれば、何かやりたいこと、金を払いたいなと思う需要は必ず出てくるんじゃないでしょうか。金を落とす先は日本以外にになりますが、高齢化社会の一面として、60歳以上の方の海外旅行需要は増えています。それはやっぱり定年になって時間ができたら、ゆっくりと海外に行ってみたいという欲求があったからでしょう。それが規制緩和や、60を超えてもなお元気なポジテイブな高齢化という現象で、実現可能になったんだというわけです。逆に日本に来る海外観光客には金を国内に置いていってもらうことが出来ます。そういう需要が多く見込めれば、新たに外国人に喜んでもらえるようなシステムを導入するとかの、国内設備投資も必ず出てくるでしょう。
 もう敢えて買いたい物はないという声は確かによく聞きます。でもそういう人でも何かやりたいことはあるのではないでしょうか。それが無くならない限り、仕事になる需要もまたなくならないと思います。今回は観光という一つの需要を取り上げましたが、それ以外にも、健康.医療、趣味、他者に対する奉仕など、自分の人生を充実させる物事はいろいろ思いつきます。それらをターゲットにした仕事が多く生まれてきたら、社会全体として前向きの回転が出来てくるのではないでしょうか。
 世の中、変化しています。でも悪くなっているばかりじゃありません。前向きに、明日のメシの種を見つけましょう。